時代の気分 Market Scope vol.172 Aug. 2011  文:石丸 淳

移ろいゆく食、『思い出の味』の危機

大震災、そして原発メルト・ダウンの余波が続いている。宴会や会食の自粛などは、流石に一時よりはマシになっているものの、飲食業界はかなり厳しい時代を迎えている。そもそもサブプライム・ローンやリーマン・ショックの頃から、消費の気分というものは既に落ち込んでいた。その消費マインドが僅かに上向きかけた途端に、天災と人災がやってきた。そして、餌わらによって内部被曝した牛肉の流通問題も日々その数を増やしていき、世の不安は少し前に世間を騒がせた食中毒の比ではなくなっている。

馴染みの店で話していても、やり場のない憤りや諦め、心が折れそうになっている店主など辛い話が多い。それは何も飲食に限った話ではなく、物販など他の業種も同じで、多くの場合は個人商店にこれらの余波が重くのしかかっている。こんな状況じゃ持ち堪えられないと思われるところがそこここにあって心配である。もちろん企業であっても大変なことには変わりはないだろうが、システムがあるだけ個人よりも少しはマシかもしれないし、要因となるのは経済状況だけである。

経済行為としての飲食業は時代によって翻弄されるのが常で、それを逆に利用して短期間で稼いで止めてしまうようなケースも多々ある。そんな目先の金だけを目指すような輩が多くなったのはバブルの頃からではないだろうか。同じ経営母体でさっさと業態を変えてみたり、とやり方があざとい。そういったものが目に付くと、大概不気味な水っぽさを感じて中に入ることが躊躇される。それが所謂“ダメダメ・ビーム”となって負のオーラのように感じられるのだ。

そんな気配を感じるようになったのは、もしかすると私自身の子供時代の食生活に原因があったのかもしれない。個人的な印象から言うと、人間の味覚を形成するのは最終的に小学生の高学年辺りではないかと思う。'60年代の半ば頃、父親が最初の離婚をした。父親と生活したため、毎日外食という経験をした。それは裏を返せば家庭料理とは縁がなかったということでもある。中学からは全寮制の学校へ進んだために、いよいよ家庭料理とは縁遠くなってしまった。その結果、好き嫌いが多く、まったくグルマンにはなれなかったのである。

長じて親しくなった人の中で比較的、嗜好が近いと思われる人と話をしていると、幼い頃に両親が連れて行ってくれていた店や、その店から巣立って行ったシェフの店に通っていたりと共通点が多いことが分かった。そうした店のうち、結構な数の店が今はもう存在しない。以前、この場で“日本の洋食”が失われつつあると書いた続編になってしまうが、小さくても素敵な店が抱える“後継ぎ問題”で止むを得ず閉店に及んだ店が多い様だ。小学生の舌や鼻に大きく記憶された食べ物はその多くがなくなってしまい、哀しい思いを随分としている。

自分の味覚が育てられてきたそれらのうちの幾つかは再現してみたいと常々思っているのだが、そう簡単にはいかない。
小学生の頃、特に好んで食べていたものの一つに「ヒラメのフライ」があった。ホテルのダイニングや普通のレストラン、洋食屋と、どこへ行っても大概は用意されていたメニューで、タルタル・ソースでいただくあれである。恐らくは小学校の給食で出たタラのフライに影響されたのであろう。そのヒラメのフライを、最近になって突然食べたくなってしまい、いてもたっても居られなくなり、あちこちの店を廻ってみた。ところが近頃では洋食屋でさえメニューにないところが多く、結局巡り会えていない。子供だった当時は、出てきたヒラメが舌平目だったりするとがっかりしたものだが(しかし、そのおかげでカトラリーで舌平目をさばけるようになった!)、今はそれすらもないのだ。時代とともにメニューも変遷しているということだろうか。

また、店が残ってはいても違うものになってしまった残念な例も多くある。どうやら最近閉めてしまったようだが、成城に「マダム・チャン・ホームキッチン」という店があった。近年は南口に大きな店を構えていたが、'70年には北口の成城6丁目にあって、とてもシックな木造の店だった。その頃、焼売が大層お気に入りで、今でも最も食べたい物の一つである。だがそれも大きさや味が変わってしまい、再び同じ味に戻ることはなかった。今も中華料理屋に入ってメニューに焼売を見つけると必ず頼んでしまうのだが、気に入った物には当たらない。

中華では点心師と呼ばれる点心専門の料理人がおり、その人によって味や作りが変わる。そういった料理人のスキルで成り立っている場合、既に「店の味」ではなくなっている訳で、その料理人が移籍するか引退した時点で違うものになってしまう。この場合、店にきちんとシステムがないとクオリティの維持が適わないことになる。中華に限らず、こうして味が変わっていき、結果として廃れてしまう例が多い。

家族で経営される“名店”も、弟子がきちんと育って継ぐようなところは心配ないが、このままだと食べられなくなるものが数多く予想され、まんじりと為す術もなくそうした状況をただ見ていて良いものだろうか、と最近特に思う。だからと言って何ができる訳でもないが、自分の舌で記憶し、さらにはきちんと後世に伝えたいとも思うようになった。だが一方で、これはもう止めた方が良いよ、と思う店が未だに営業を続けていたりするのだけれど……。