時代の気分 Market Scope vol.173 Sep. 2011  文:貴田 マリ

人間部品産業

今年6月に報道された、暴力団がらみの生体腎移植をめぐる臓器売買事件のドナーは、数十万円の借金を帳消しにすることで腎臓提供を受け入れたという。同じく6月に中国では、男子高校生がiPad2欲しさに、インターネットを通じて臓器密売人に約27万円で腎臓を売ったというニュースも聞こえてきた。

そんな折、1992年に出版されたアメリカ人弁護士であり市民運動家のアンドリュー・キンブルの著書『すばらしい人間部品産業(Human Body Shop)』の改訂版に出会った。
タイトルからして誤解を受けそうだが、これは生命の商品化を礼賛する類の本ではない。邦題は1932年に出版された、オルダス・ハクスリーの反ユートピアSF小説『すばらしい新世界』になぞらえている。ハクスリーの未来では、人間は厳密な実用的価値に沿って、正確に規格化された基準に従って大量生産されるもの、として描かれている。

冒頭で著者は、機械産業で勝利を収めた20世紀を「物理学の時代」とするなら、21世紀は「生物学の時代」だろう、と述べている。人間部品産業とも名付けられる昨今の状態は、“胎児組織を実験用マウスに移植”“代理母をめぐって違憲訴訟”“エイズウィルスをマウス遺伝子に導入”“政府が遺伝子配列に特許申請”等々、アメリカの新聞の見出しではしばしば見かけることからも窺える。

日本では、臓器移植や代理母出産などに厳しい規制が設けられているが、アメリカでは有償での人体提供、つまり人体の商品化に対し認可されている事例が多くある。『すばらしい人間部品産業』に引用されている多数の事例により、徐々に人間の肉体の商品化・部品化が拡がってきた歴史がわかる。血液→臓器→出産→胚(受精卵)→赤ん坊→遺伝子→人間と商品化が拡がってきた流れや、微生物→遺伝子操作された動物→人の胚→幹細胞へとそれぞれの特許化が拡大されてきた経緯により、人間部品産業の全体像を浮かび上がらせ、その是非を問いかけてくる。

第一章は「人体と部品のあいだ」と題され、“血は商品か”“臓器移植ビジネス”“胎児マーケット”で構成されている。以下は、各項目からの抜粋である:

 人間の商品化は血から始まった。“売血”が貧しい人々の間で行われ、健康を損なっても血を売るしかない人達の行為が最初の「人間部品産業」となった。
自分の血液を売って起業した人物もいる。血友病患者のテッド・スラビンは、B型肝炎を患っていた。1970年に血友病協会が血友病患者に対して行ったB型肝炎抗体検査の結果、スラビンの血液には驚くべき高濃度のB型肝炎ウィルス抗体が発見された。彼は自分の血が、B型肝炎の診断薬を血漿から造っている企業にとって、また血液由来の病気を研究している人達にとって非常に貴重であることを知り、この希少価値のある血を売る商売を始めた。営利企業には1パイント(0.47リットル)あたり6,000ドル、非営利な肝炎研究社には無償で提供した。ほどなく彼は血液企業家として自分の血液をはじめとした珍しい血液を販売するエッセンシャル・バイオロジカル社を設立し、1984年にこの世を去るまで商売を続けていた。

血が商品なら臓器だって商品だ、と考えを拡張していける。人間から人間への最初の臓器移植は、1951年に行われた腎臓移植だが失敗に終わっている。腎臓移植成功第一号と見なされているのは、1954年に一卵性双生児間での腎臓供与により、8年間生存した事例である。
1980年代には、より高度な外科手術法、免疫に関する知見の増大、拒絶反応を抑制する効果的な薬品の開発などにより、移植を受けた患者の生存率が飛躍的に上がった。生存率の上昇に伴い移植手術も増大し、移植可能な臓器の需要も増えている。1982年と1990年代初頭を比べると、心臓移植は20倍、肝臓は40倍、腎臓は2倍以上に増えている。10年にわたる移植革命によって、人体は驚くべき品数の再利用可能部品に区別されるようになった。生きた臓器や皮膚をはじめとする人間の身体の構成要素はすべて、人間部品産業における販売可能な商品となってきた。

しかし、臓器は血と異なり再生されない。また臓器摘出には危険が伴う。さらに臓器を死体、生体、あるいは胎児から摘出するいずれの場合でも、生と死の定義をめぐる重大な問題が伴う。これまでは、呼吸の停止が主たる死の基準であった。これが、魂の離脱を示す明らかなしるしだった。しかし、死に瀕した患者に対する看護技術の急速な進歩により、1960年代の終わりには、脳の機能が失われたような患者でも、呼吸と血液循環を人工的に維持する生命補助装置によって、生きながらえることが可能になった。脳の機能は停止したにも関わらず、機械の力によって呼吸と脈が保たれている。これでは、呼吸と心拍の停止に基づく定義は適用できない。このような事態に直面し、1968年に脳の機能に基づいた死の判断基準が提案された。一般に“全脳死基準(脳死)”と呼ばれている、脳の停止を死と見なす定義だ。
しかし1970年代の終わりから、死の法的定義をさらに拡大しようとする動きが起こってきた。全脳死の考え方を大きく超えて、脳の“高次”機能を失った状態も法的な死に含めようというものである。この新しい死の定義の背景にある考え方は、永久的に人格を失った状態は実際には生命を失ったことになる、とするものだ。つまり、脳の高次機能は失われているが低次機能は保持され、しばしば自発呼吸ができるような患者でも、法的に死んだと見なされる。そうなれば、永久的植物状態の患者も、無脳症などの胎児も死者となってしまう。高次機能を失った状態を死と定義したなら、次にくるのは覚醒不可能な昏睡に陥った成人を利用しようという考えであり、更にはアルツハイマー患者を利用しようとするのではないか、と危惧する人も多い。

脳の“高次元機能”や“人格”を失ったものを含めて、死の定義を拡張する主たる理由は、ここでもまた全脳死の場合と同様、より多くの臓器が必要だからということなのだ。もう一つの注目点は、脳の高次機能だけを失った患者の多くは、臓器の供給源として長期間そのままの状態を維持できるという利点がある。患者は自発呼吸が可能で、脳死患者が必要とする人工呼吸装置もいらないので、ネオモート(neo=新鮮な、mort=死体、の合成語)として、貴重な臓器や血液の“貯蔵体”として利用できるのである。

バイオテクノロジーの分野に胎児がもたらす革命は、現在考えられているような特定の疾患の治療をはるかに超えたものになる。たとえば、老化が目立つ年齢を迎えた人々の身体機能改善のために、胎児が臓器や組織の供給源として大規模に使われるという未来図を、生物工学の研究者たちは描いている。ある科学者は、代替部品として使うために意図的に妊娠して胎児をつくる日がいつか必ず訪れるはずだ、と語っている。
実際に中絶を前提に妊娠し、自ら胎児の供給源になろうとする人々が出現しつつある。アルツハイマー病の父親をもつある女性は、父親の精子を用いて人工授精したいと願い出た。遺伝的に適合した胎児細胞を得ることができ、父親の治療に使えるというのだ。また、重度の糖尿病患者のある女性が、妊娠したいと申し出た。胎児を中絶し、そこから得られる膵臓細胞を自分に移植して、病気を治したいと思ったのだ。幸いにも現時点では、胎児を治療に使用する目的で意図的に妊娠することは認められていないが、これもすぐになし崩しになっていくだろう、と多くの専門家がみている。

胎児組織が生物学に革命をもたらすという見通しの根拠は、移植手術を難しくしている拒絶反応を軽減する際に非常に有効なことにある。胎児組織は、人間以外の動物に移植されても拒絶反応を起こさない。従って胎児組織の移植は、人間以外にも使えることになる。もう一つの特性として、胎児組織は非常に大きな成長能力を示す。胎児は成長途中にある生物体であり、培養液の中でも、動物に移植された後でも、人間に移植された場合でも、成人の生体組織に比べ著しい成長能力があり、大きな市場へと発展する潜在力を秘めている。

上記の事例は、ほんの一部にしかすぎない。科学技術の開発に取り憑かれ倫理感をなくした研究者、将来の巨大マーケットを予測して資金援助する製薬会社、自分のためには他人の身体を買ったり使ったりすることになんら躊躇しない金持ち、そして生きて行くために血や臓器を売る貧しい人々という構図から、いつしか奇怪な成果が生じる現実の物語は、ある種のホラーのように思える。確かに“死ぬ人”よりは“生きる人”や“生きる可能性がある人”を救うのが医療であろう。しかしここまでやって良いのだろうか? 人間に許される領域はどこまでなのか? そこまでして健康になったり長生きして、果たして幸せなのだろうか? 

続く第二章は「赤ちゃん製造工場」と題され、公然と横行する精子・卵子の売買、代理母契約、試験管ベビー、遺伝子診断など、巨大市場に成長した赤ちゃん産業の実態が語られている。試験管ベビーの進化形ともいえるハイテク・ベビーも、既に姿を見せている。イギリスのニューキャッスル大学の研究チームが、2010年4月に、二人の母親と一人の父親から人間の胚をつくることに成功した。片方の母親の胚に存在する“欠陥のある”ミトコンドリアを、別の母親の健康なミトコンドリアに置き換えたのだ。研究者の一人は、「私たちが行った作業は、ノートパソコンのバッテリーを交換するようなものだ。これにより電源は正常に機能するようになったが、ハードドライブに保存されている情報はいっさい変更されていない」とコメントしている。
胚を遺伝子診断して様々な遺伝素因を調べることは、人間部品産業の新たな部門となり、何十億ドルもの市場に成長するであろう。将来的に、医療産業が遺伝子診断を受けた方が良いと人々をあおれば、多くの親が自然な出産よりも試験管内受精を選択するようになるだろう。試験管内受精では複数の胚が一度に扱えるので、医者は胚を生きながらに検査でき、最も望ましい胚をお母さん、あるいは代理母に移植すれば、親の望む“パーフェクト・ベビー”が生まれるのだ。

ここでは本来は買う事のできない“授かりもの”である赤ん坊が、契約に基づき売買されている現状。更に手に入れられるならより良いものを、と望む親のための“パーフェクト・ベビー”の開発は、人間の限りない、そしておぞましいとも言える欲望の結果なのだ。なぜ“自然の摂理”を受け入れようせず、組み伏せようとするのか? 成長した子供が親の期待に添わなかったら、その事態をどう受け止めるのか? 医療ミスで障害児が生まれても育てるのか?   リプロテック(生殖)産業は急成長を続けている。しかしその成果は命をもつ人間なのだ。倫理的、道義的な検討が最も必要とされている分野にも関わらず、技術の進歩と需要が先行している。アメリカやヨーロッパで起こっているこの現状を他人事とは言えない。日本で臓器移植ができない人たちが手術を求めて渡米するように、代理母を求めて渡米する人たちもいるのだから。 第三章の「遺伝子ビジネス」では、DNA解析の進化により可能となった遺伝子治療、豚の胚に成長をコントロールする人の遺伝子を送り込んで誕生した高度成長豚や牛、遺伝子操作によって作成された動物の特許、そして1997年のクローン羊の“ドリー”誕生からクローン人間計画まで、驚きの事例が続く。

1980年代の始め、新しい遺伝子工学的技術を使い、ヒト成長ホルモンの遺伝子がクローン化され、バイオテクノロジー産業によって大量に生産・販売されようになった。初めての生体物質である。ヒト成長ホルモンは、身体の発育に大きな作用があると考えられていたが、法的に認められていたのは、脳下垂体機能低下による小人症の治療だけだった。
しかし、かなりの数のアスリートは、このホルモンを筋肉の形成と強化のために闇ルートで入手し、ステロイド製剤と併用していた。その後、ステロイドには発ガン作用があり、成長ホルモンにはガンの成長促進作用があることが解った。元ナショナル・フットボール・リーグ(NFL)のスター選手ライル・アルザードは、薬の副作用で脳に手術不可能な腫瘍が発生し、死亡した。一流のアスリートにとどまらず、平均身長より低い子供にヒト成長ホルモン注射を続ける何千人もの親たちもいる。しかし、自身の体内で成長ホルモンを少しでも作り出している子供に対し、さらなる成長ホルモンを投与して、成人した時点での身長を増大させようとする長期治療の効果は、未だはっきりと解ってはいない。副作用として、急性白血病の発症率が高まるとの調査結果も報告されている。

人間以外の動物や植物に対する遺伝子改変は広く行われ、人間の遺伝子を動物に導入するようなことさえ行われている。豚第6707号は、豚の胚にヒト成長ホルモン遺伝子を組み込んだ、成長が速く大きく育ち、肉質の良い“スーパーピッグ”になるはずだった。しかし、ヒト成長ホルモン遺伝子は豚の代謝系に、予想もつかない作用を及ぼした。成長した姿は異常に毛深く、死亡率が高く、関節炎が多発し立ち上がることも難しい、倫理を欠いた失敗作でしかなかった。

遺伝子操作を施した特許動物第一号は、ハーバード大学の研究者が開発した、人間や鶏など多種の遺伝子を導入して作られたマウスであった。これらの遺伝子はマウスの生殖細胞に導入され、ガンにかかりやすい遺伝的特性を与える。マウスはこのような遺伝子操作を受けることによって、各種の発ガン物質の危険度をテストするために有用な実験動物として作られたのだ。この特許のライセンス権は、開発者に資金を提供した多国籍企業、デュポン社が所有し、商標名“オンコマウス(発ガンマウス)”として販売されている。

大型の哺乳動物をクローン化する技術が出来上がったことにより、同じ技術が人間にも当てはめられるのでないか、という考え方が出ている。母親から胚を取ってきて、研究室内で操作を施すことで遺伝的に同じ赤ちゃんを作り出し、母親あるいは代理母に戻し、出産させるという方法だ。クローン人間の実現には時間がかかるとしても、いくつかの利用例が既に考えられている。
臓器移植用として、ある個人のために“もう一つ”の身体をクローン化する。この身体から臓器提供を受ければ、拒絶反応の心配は全くない。もし将来、脳の移植が技術的に可能になれば、もう一つの身体を使って、事故や病気で元の身体が破壊されてしまった患者から、脳を移植することもできるかもしれないのだ。
歴史上の人物のクローン化も不可能ではない。埋葬された死体の組織から得た遺伝子をもとに、クローン化技術を用いて同一の遺伝子をもつ人間を蘇らせるのだ。現にアメリカでは、アブラハム・リンカーンの組織標本をクローン化する計画がある、と発表されている。
最も起こりうるものとしては、優生学的クローン化が考えられる。数学や音楽など、ほんの一握りの天才だけが重要な仕事を成しうる分野では、そのような天才や逸材をクローン化することは好ましいという意見もある。さらにクローン化によって、人類を“優れた才能を持つ新人類”にグレードアップできるだろうと言う学者もいる。

この章では人間部品産業の最先端と、その最終的な到着点とも言うべき人間のクローン化が語られている。バイオテクノロジーに批判的な人々の多くは、クローン人間による反ユートピア的な状況を想定している。あらかじめ必要な特性を持った、同じクローン人間の軍隊を作ることもできるだろう。宇宙で新しい開発計画が持ち上がれば、科学者や医者など必要な能力を持つクローン人間のチームを組めるのだ。まさにハクスリーの『すばらしい新世界』にある、機械文明が行きついた世界で、人間が自らの尊厳を見失う姿ではないか。

最終章の「人間部品産業との闘い」は、第三章までの人間部品産業の実態の数々をふまえ、人間部品産業がどのような歴史的背景から成立したかの考察の後、私たちはそれにどう対応すべきかが述べられている。

著者はその原点に、ガリレオの名を挙げる。ガリレオの信念とは、自然界は形而上学的な見方や精神論から解明できるものではなく、定量的な測定や厳密な数学的解析を通してのみ理解できるというものである。ガリレオの哲学は、人間の経験の全体像を、観測可能で、物質と運動のことばで説明できる、ごく限られた部品に置き換えた。こうして生命を解体し、機械論的な姿に整形し直された新しい科学のもとに、デカルトによる動物の機械論的解釈と、ラ・メトリーの人間機械論が結実し、人間部品産業が誕生する土台ができあがった。
自由競争主義、自由市場原理も人間部品産業を促進した要因である。個人が自らの欲望を何物にも妨げられずに追求することによって、公共の利益を生み出すとする考え方である。これに則れば、人間部品が自由に取引されることによって、より多くの臓器がより安く供給され、需要のあるところに公平に分配されるということになるのだ。

成長を続ける人間部品産業への対応に、著者は明解なスタンスを提示している。
「商品の定義は、売買を目的として生産された部品であるということにある。人間自身を形成するものや、人間の労働は、決して売買を目的として生産されたものではないということなのだ。」
身体を不可侵なもの、尊厳あるものと考え、生命を操作し、商品化する見方とはっきり決別する思考改革を求め、身体との向き合い方として、無償供与の原則を挙げている。医療市場がますます商業化し、社会も日々官僚的、非人間的になっていくなかで、身体の一部を無償供与するあり方は、私たちが一緒に生活している市民どうしであり、たとえ匿名であっても互いの必要性に配慮し、病気の人や不自由な人のために何かができるという意識を確認する行為なのだ、と。

最後に、倫理学者ウイリアム・メイの、人間部品の売買と身体の尊厳の関係を説明した次の言葉を書き加えたい。

もし私がノーベル賞を買うことができるなら、
ノーベル賞の意味を堕落させることになる。
もし私が南北戦争のとき認められていたように徴兵免除を金で買えば、
市民であることの意味を堕落させることになる。
もし私が子供を買ったり売ったりすれば、
親であることの意味を堕落させることになる。
もし私が自分自身を売れば、
人間であることの意味を堕落させることになる。