時代の気分 Market Scope vol.184 Aug. 2012  文:石丸 淳

ボディ・カラーに見る時代

若い人たちのクルマへの興味が乏しいと言われて久しい。
何しろあの大トヨタが名優ジャン・レノをドラえもんに仕立てて、“免許を取りに行こう!”と声高に言っている時代である。大都市圏においては、公共の交通網が整備されているから、それらを利用して何不足なく行動が出来るし、それこそ携帯にまつわるコストに大きな予算を割いているから、所有すればランニング・コストの掛かるクルマなど以ての外と考えられているようだ。あまり上昇志向がない今の若い人には、本当にクルマが憧れの対象ではなくなってしまったのだろうか。

そんな若い世代でも、例えばフェラーリやアルファ・ロメオなどイタリアのクルマに対する色のイメージが赤ということを何となくは感じている。色の名前でイタリアン・レッドという呼び名になっていることもあるだろう。同様にイギリスであれば何となくグリーン、名前でいうとブリティッシュ・レーシング・グリーンと呼ばれる色のイメージである。
確かにこれらのクルマは、普通に見かけるその殆どの個体がそうした色を纏っているからなのかも知れないが、そうした色の数々は歴史上モーター・スポーツの世界で定められたものだったのだ。

「クルマが発明されて、この世の中に2台出来た時からレースの歴史は始まった」とよく言われるが、そのレースが盛んになった頃、もう100年以上前の話だが国際格式の競技では様々なルールが作られた。この中で、レーシングカーのボディ・カラーは、そのエントリーをする国の色に塗られていることと規定されていた。例えば前述のようにイタリアはレッド、イギリスはグリーン、フランスはブルー、ドイツはシルヴァー、ベルギーはイエロー、アメリカはブルーにホワイトのストライプ、日本はホワイトにレッドの丸(日の丸そのもの)といった具合である。

これらの色が、それぞれの国名と合わさってイタリアン・レッド、ブリティッシュ・レーシング・グリーン、フレンチ・ブルー、ジャーマン・シルヴァーという呼び名が確立されていった訳だ。何故かドイツだけは当初ホワイトであったのに1930年代頃から、シルヴァーに変わってしまう。レギュレーション上はさらに細かくナンバー(ゼッケン)の文字色に至るまで規定されていたのだった。こうしたことが長く続いていたことによって、人々の頭に国と色の関係が刷り込まれていったことが、クルマに興味のない人にもイメージとして残っているのだ。

しかし、それも1968年に崩れていくことになる。F-1の世界でも永らく守られてきたこの規定をこの年、トップ・コンストラクター(製造者:メーカー)であるロータスの横暴で、無理やり甘くしたのだ。その少し前に、プライヴェートでF-1にスポット参戦したティームがタバコのスポンサーを得て、そのカラーリングで参戦した際は問題とされたのに、ロータスがボディ・カラーをスポンサーのカラーリングにすると伝えられた所轄団体のFIA(国際自動車連盟)は、これを許してしまったのだ。

ゴールド・リーフカラーのロータス

果たしてシーズンが始まって、サーキットに姿を現したロータスのF-1マシンは、それまでのイエローのストライプが入ったブリティッシュ・レーシング・グリーンに変わって、スポンサーのタバコ企業“ゴールド・リーフ”カラーであるレッドとゴールド、そしてホワイトという目にも鮮やかなカラーリングが施されていた。

当時、アメリカ国内のサーキットではカラフルなレーシングカーが存在していたが、ヨーロッパのF-1サーキットでは、それはものすごく衝撃的な出来事であった。

それ以降、雪崩を打ったようにF-1マシンはスポンサー・カラーに彩られるようになり、ある意味で華やかになって行くのだった。筆者は個人的にそれがあまり好きではなかったものの、スポンサーはティーム名にも名を連ねたり、またそのペイント・デザインを有名なカロッツェリアがデザインしたりして、見たものの記憶に深く残るようになった。だがそれはF-1というものが天文学的にお金の掛かるものになってきたことを意味し、やがてスポンサー企業なしには、マシンの開発すら出来ない程、巨額のビジネスとなっていったのだ。

では一方、市販車のボディ・カラーというのはどのように変遷してきたのだろうか。本来はクルマのエクステリア(外装)・デザインが決まった段階で、色の設定というものがなされる訳だが、そのデザインに似合う色というものがあるはずで、デザイナーがまずは色の傾向を決めるのだが、当然カラーリストや売る方の都合、つまりトレンドもある。そしてラッカーからアクリル、ウレタン、水性と、塗料自体の素材の進化によってもその発色や技術的なもので新たな色を生み出して、それがトレンドを生む、あるいはトレンドに繋げるということも多々あった。

つまり時代によってさまざまな事案、この場合はとりわけ環境問題が一番大きいのだが、それによってテクノロジーが進化し続けていると言えるだろう。その時代時代で、例えば使用していた原材料(色を決める顔料など)が有害物質であることが判明し使えなくなり、その色系統の発色が悪くなってしまうということも経験し、またそうしたことが新たな開発に繋がったりする訳である。もちろんペイント・メーカーの商魂もあるだろうが、人間はいつもそうして新たなものを生む。

ボディ・カラーのトレンドはもちろん地域や国でも違いを見せる。戦前は世界中でダーク系な色が多かったようであるが、スポーティなモデルにはやはり明るく派手な色が好まれた。1960年代頃までは綺麗なホワイトは難しかったようで、その頃のホワイト系は主にアイヴォリー(象牙色)が多かったように思う。日本でも1960年頃から一般に自家用車を購入出来る時代となってきたが、輸入車も含めて明るいペール・トーンのものが多かった。思えば我が家も明るいグリーンのイギリス車だったし、叔父はピンクとアイヴォリーの2トーンのフランス車に乗っていた。

実際にその頃、都内を走っているクルマは法人所有であろう黒塗りアメリカ車を除くと結構綺麗な色が多かったと記憶する。乗用車は特にその傾向が強かったが、今と違って商用車の方が濃いブルーやグレーにペイントされている例が多かった。それが恐らく1970年代の途中、オイル・ショックの後だろうか、ホワイト系のクルマが多くなって街中の風景が変わり出したような気がしていた。この傾向は1980年代へ続き、当時国際線で成田へ帰ってくると、眼下に見える千葉のどの辺りか判らないが、駐車場の色目があまりに白いので驚いたものだった。

ホワイト系の増殖はその後バブルへ向かう時期に重なっているが、この国ならではの特有な事情、それはリセール・ヴァリューという言葉も考慮される。下取りに出す際の優位性があったからなのだが、これも買い換えるという前提であるから、やはりバブルならではだったのだろう。それでも、汚れがシミになり易く、掃除も大変なホワイト系が人気色だったのが今でも不思議でしょうがない。
個人的な印象では、これも街中の風景としては恐らくドイツ車が席巻した時代であることからか、この頃からガン・メタという類の濃いグレーのメタリックが急激に増えた印象がある。

そしてこの辺から、シルヴァー系が増えてきたようにも思う。時代の背景、経済状態とどこかで結びつくのかもしれないが、バブルが崩壊した後は人々の心に一番無難と思えた色がシルヴァー系だったに違いない。このムーヴメントは現在も続いていると思われる。そして新しい素材の開発とともにこの10年程では艶消しのボディ・カラーも登場している。やはりシルヴァー系がその殆どを占めているが、これはミラノのファッション・デザイナーであるジォルジオ・アルマーニさんが2003年頃からメルセデス・ベンツとのコラボレーションで始めたものだ。

日本でも2005年から特別なヴァージョン、あるいはオプションで選べるようになっているが、艶消しのペイントというのは、旧くは'73年のマトラ・シムカ・バゲーラで初めて登場する。もっともこの頃のものは汚れを落としにくく大変だったようだが。このようにクルマのボディ・カラーはファッションとも綿密に繋がり始めてもいる。確かに衣服としてのクルマという考え方もある訳で、それは記号性として自分の意思を色で表してもいるのだ。そしてクルマの色は街の風景の印象を変える。それは明らかに時代を作ってもいる。