時代の気分 Market Scope vol.189 Jan. 2013  文:貴田 マリ

若菜

あけましておめでとうございます。

お正月は、数ある年中行事のなかでも特別なものだ。元旦の朝は、数時間前の大晦日とはガラリと変わり、清らかな気に満ちているように感じる。お屠蘇(私はお酒)で祝い、年賀状の配達を待ち、初詣で一年の無事を祈ると、新たな年が始まることに背筋が伸びる。
そんな時いつも、百人一首のなかでも人気の高いこの歌が浮かぶ。

仁和のみかど、みこにおはしましける時に、人にわかなたまひける御うた
きみがため 春の野にいでて わかなつむ
わが衣手に 雪はふりつつ

光孝天皇 古今集 春上

“仁和のみかど”とは光孝天皇(こうこうてんのう・第58代天皇/在位884年〜887年)をさし、まだ皇子であった時に、人に贈る若菜に添えた歌である。初春の新鮮な息吹と、贈る相手への心遣いが感じられる。この“人”が誰であったのかは述べられていないが、相手はたぶんあまり身分の高くない、若い女性だったのではないか。
若菜を摘むということは、正月初めの“子(ね)の日”に、新しい野草を食べると無病息災で過ごせるという信仰から起こっている。それが中国の“人日(じんじつ)”の行事と結びつき、平安時代には“子の日の遊び”“子の日の宴”などと称し、宮中では盛んに行われていた。光孝天皇の御製にも、相手の健康を祈る気持ちがこめられている。

源氏物語34帖「若菜」にも、正月二十三日の子の日に、光源氏が後見人となっていた玉鬘(たまかずら)が源氏の“四十の賀*”を祝い、若菜を贈ったことが次のように描写されている。

おん土器(かわらけ)をお廻しになり、若菜のおん羹(あつもの)をお上がりになります。

谷崎潤一郎 新々訳

また清少納言は、常は野草などには目もくれない御所の奥向でも、この日ばかりは珍しいもののように持てはやす有様が面白い、と綴っている。

(正月)七日、雪まの若菜つみ、あをやかに、例はさしもさる物見近からぬ所に、
もて騒ぎたるこそをかしけれ。

枕草子 二段

子の日の遊びが盛んになったのは平城天皇(へいぜいてんのう・第51代天皇/在位806〜809年)のころと言われているが、民間では非常に古くから行われた神事であったようだ。この神事を元に世阿弥は、能の「二人静(ふたりしずか)」を創り上げた。吉野の勝手神社(かってじんじゃ)では、正月7日に若菜を摘んで神前に供えたこと、若菜を摘む場所を“菜摘川”と言い、“菜摘女”が聖なる仕事に携わっていたことが謡われている。
「二人静」は、このような情景描写から始まる。

これは和州三吉野、勝手の御前の社人にて候
さても毎年正月七日に、若菜を摘み神供に供え申し候
当年は某(それがし)が番に当たりて候程に、今朝より女どもを集め
菜摘川のほとりにて若菜を摘ませ候が、未だ帰らず候
女どもに疾く疾く帰れと申し候へ

そして菜摘女が菜摘川の情景を謡いつぐ。

所から春立つ空の朝(あした)の原、いつしかとのみ打霞む
松も若菜の色添へて、水も緑の菜摘川
名にしおひたる若菜かな

喜多流稽古本

河原で摘むのだから、若菜といっても芹かなずな、あるいは今のクレソンの類だったのではないか。

この七種の野草が “春の七種”として定着したのは徳川時代からのようだ。長唄に「娘七種(むすめななくさ)」という曲があり、これは明和4年(1769年)、江戸の中村座のお正月興行で初めて演じられた。この曲には「すずな、すずしろ、せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ」と七草の名前が読み込まれている。七草の中で私達にとって芹以外は馴染みがないと思うが、すずなは蕪、すずしろは大根を指している。そして、すずなとすずしろだけが栽培の野菜で他はみな雑草だが、どれも薬草で利尿や解熱に効くとされている。

1月7日近くになるとデパ地下やスーパーで風情のある籠や、実質本位のパックに入った“春の七草”が売られている。毎年これを見る度に、平安朝以前からの日本の習慣が現代に生きていることの不思議さと、日本文化の底力を感じ、嬉しい気分になる。



※ 注:数え年40歳を初老として初めて祝い、以後10年毎に 50歳・60歳・70歳(古稀)などを祝う。江戸時代以後、このほかに61歳(還暦または華甲)・77歳(喜寿)・88歳(米寿)・90歳(卒寿)・99歳(白寿)なども祝うようになった。