時代の気分 Market Scope vol.196 Aug. 2013  文:石丸 淳

文化としての言葉の尊重

どうも昔からカタカナ文字の表現が気になるタチ(性質)である。カタカナといえば現代においては、その殆どが外来の言葉を書き表す表現だろう。子供の頃から、例えばレストランのメニューなどが気になって仕方がなかった。お菓子の表記もそうだし、クルマのメーカーや車名などにも?なことが多かった。それまで日本になかったモノ、コトであったはずだから、その時にそれらを日本へ導入した企業や団体がそうしてしまったことなので、流石に旧いものについては既に日本語となっているものも多く、それらは仕方がない。
旧くは南蛮渡来と言われる、カステラ、かっぱ、天ぷら、金平糖などは既に外来語として、というより日本語として定着している。ラムネもペリーが来航した折に会談で振る舞われた日本人が、アメリカ人の「レモネード」の発音が正確に聞き取れず、「ラムネ」に訛ったと言われる。しかし、戦後となるとどうなのだろうか。終戦とともにアメリカ文化が怒涛のように入ってきて、一つ一つ対応できなくなっていたのだろうか。そうして誤った日本語化で本来の意味が伝わらない例もあるのではないか。そんなことが気になってしまう。
コンピューターの世界では、かつて小さなデータ量で動かさなければならなかった時代があったせいなのか、その名残が多く残っている。それは一文字でも情報量、打ち込む手間を減らすということからだったのだろうが、例えば「コンピューター」は「コンピュータ」、「プリンター」は「プリンタ」といった具合で音引きを省略する類である。これはとても嫌だなぁと思っていたら、もう何年も前のことだが朝日新聞などで論議され、音引きはちゃんと付けよう、と提案があり、Microsoftなども同じ流れとなっている。
 ◆カタカナ表記ガイドライン

クルマの世界も1960年代半ばに登場したアメリカのポニーカー世代の先駆け、Fordの「マスタング(Mustang)」が日本へ輸入された際も「ムスタング」となっていた。だから今でも、50代後半以上の人は「ムスタング」と呼ぶ人が多い。刷り込みである。ところが何故かこの世代の人々は「ビー・エム・ダブリュー(BMW)」を「ベー・エム・ヴェー」とドイツ語読みで呼ぶ。これも刷り込みであろうが、当時はそれがお洒落に聞こえたようで、むしろ今の日本法人(輸入元)が「ビー・エム・ダブリュー」と言っているより皮肉にも正しいではないか。
同じようにその世代はイタリアの名車「マゼラーティ(Maserati)」のことを「マセラッティ」と呼ぶ。それより若い世代のはずなのにクレイジーケンバンド横山剣もそう歌っている。多分、それは'60年代の気分を出したいからなのだろうと思う。これも当時日本へ導入された際にそう呼んだためなのだが、近年日本法人が出来た際には、積極的に「マセラティ」と発音するように促している。確かにそれが一般的ではあろうが、本拠地であるモデナや発祥の地であるボローニャ辺りの人々の発音では「マゼラーティ」となる。
英国の、今やJaguarに吸収されてなくなってしまったブランドで「デイムラー(Daimler)」というものがあった。「ロールズ・ロイス(Rolls-Royce)」より旧く、ずっと長く英国王室御用達を務めたブランドである。これは1893年にイギリス人のシムズという人が、ドイツのダイムラー社(Daimler AG、合併してダイムラー・ベンツ社になる以前の片一方)からパテントを買って始めたものなのだが、同じスペルであるのにドイツの読みとイギリスの読み方でその表記が変わってしまう訳だ。これもそれぞれの日本法人が、一応別けて表記したにも関わらずごっちゃになっている人が多い。
ローマ字という表記があったために、本来日本人にとって読み易いはずのイタリア語にも難しいものがあって、それらが混乱させることもある。ボディのデザインや架装、生産をするカロッツェリアヴィニャーレ(Vignale)というメーカーがあったが、これもその昔カーグラフィックが「ヴィニアーレ」などと誤った表記をしていたから、他もそれに一時期倣ってしまった。同様にデザイナーの「ジォルジェット・ジウジアーロ(Giorgetto Giugiaro)」も「ジュッジャーロ」などと書いてしまったために、別人のような解釈に至っていた。
長い間その業界ではベンチマークとされてきたメディアだけに、影響力の大きさが災いするのだが、結局のところ当時は英語という言語を通してのイタリア語(固有名詞)であったりする訳だから、英語的なる発音が基準となっていたことは想像に難くない。しかし21世紀の今、これだけ世界経済がグローバルになって、近代テクノロジーの進歩で移動や通信など、地球サイズが小さくなっていることを考えると、言語の表現や発音は、時代に合わせてアップデートしていくべきだろう。

イタリア語というのは面白いもので、どこを経由して日本に入って来たかによって、全く違う。自分が好きなイタリア料理などは余計に表記が気になり、覿面その経由の影響が窺われる。戦後にアメリカ文化として入ってきたイタリア料理(アメリカ料理?)は、以前この欄で書いたようにアメリカの表現が今だに多い。代表例は「ピザ」である。昨今流行の本格的ナポリ風のピッツェリア(ピッツァ専門店)に行けば、間違っても「ピザ」とは表記されていない。正しいイタリア語は「ピッツァ」なのである。この一点を見ただけで本格的なイタリアのものか、アメリカのものかが容易に識別できる。
他に「スパゲッティ」にもいろいろな表記があるのは何故だろうか。多いのは「スパゲティ」、酷くは昔「スパゲッチ」なる表現もあった。これにはアメリカもくそもないだろう。語尾に音引き「ー」が付いてしまう例もあるが、これも違和感がある。スペルの「Spaghetti」には伸びる要素がない。「ティ」と言い切る。英語で「Tea」は「ティー」と伸びて表記されるが、「Party」が「パーティー」と伸びてしまうことへの違和感に近い。
もっともこの30年ぐらいで日本に定着したものは、正しい表現になっているものが比較的多い。と思っていたら、残念な例が最近あった。我々が長いこと事務所を構えていた代官山に、老舗のイタリア料理店「パパアントニオ」があったのだが、少し見ない間に何故か「ラザニア」専門店に業態変更をしてしまっていた。その看板に「ラザニア」と書かれていたのをクルマで通っていて発見してしまったのだ。老舗と言われる中では、本格的なイタリア料理を供する数少ない店の一つだったので、その表記にはちょっとショックだった。
「ラザーニャ」もかなり前から日本でポピュラーになったイタリア料理の一つだったから、ずっと長い間「ラザニア」と表記されてきた。殆どの人は恐らくこの表記の方がしっくりくるのかもしれない。変わり種としては昔、声楽家の五十嵐喜芳さんの「マリーエ」という店では「ラザニエ」と、「ラザーニャ」の複数を表す「ラザーニェ」に近い表現をしていたことが思い出される(確かにパスタが1枚ではないから正しく、イタリアでは殆どの場合そう表現される)。昔は違和感があったのかもしれないが、実はこちらの方が正解に近い。
この他にも世界を席巻したStarbucksなど、所謂シアトル系コーヒー・ショップが提供するヨーロッパ・スタイルの珈琲にも、アメリカ経由による表現の違いがある。エスプレッソのバリエーションとなる「カフェ・ラッテ」(イタリア語)も「カフェ・ラテ」と音が詰まってしまい、何だかアメリカ人の発音っぽいものになっているではないか。「ラッテ」はイタリア語のミルクで、「ラテ」では通じない。シアトル系の珈琲は確かにアメリカ文化だとは思うが、何だか大元のイタリア語がどこかへ行ってしまったようで寂しい限りである。
ついでに言うと、ファッションの世界でも日本は酷い。デザイナーでかつてアルマーニフェレと共にミラノ御三家と呼ばれた一人「ジァンニ・ヴェルサーチェ(Gianni Versace)」も、日本法人の名前が「ヴェルサーチ」となっている。'80年代に出来た会社であるのに、どうすれば「...ce」で終わっているものを「チ」と表現できるのか。英語でも「チ」とは呼ばないだろうと思えるのだが。ジァンニがゲイに殺されてしまう前、会社の経営はジァンニの兄がしていたが'90年代初頭に来日の折、この件を彼に聞いてみると、やはりとても不思議だ、と言っていた。
同じ北イタリアのミラノ近郊ノヴァーラにある「エルメネジルド・ゼーニャ(Ermenegildo Zegna)」というブランドも、日本法人では「ゼニア」と表記される。これは全く前述の「ラザーニャ」と内包する問題は一緒だ。音からすると何だか能登にある「銭屋」という旅館が思い浮かぶが、日本人にはスペルに「gn」を含む言葉の発音、「ニャ」「ニュ」「ニェ」「ニョ」という発音が難しいのだろうか。「ゼニア」というととても田舎臭い響きに聞こえて、せっかくの高級生地メーカーのイメージが台無しの残念な例と言える。
しかし、もっと残念なのは「スタジオ・ジブリ(STUDIO GHIBLI)」である。何とこの社名を付けた頃にはそのイタリア語の読み方を知らなかったと、ジブリの宮崎さんだったか鈴木さんだったかがインタヴューで答えていた。イタリア語で「ギブリ」と発音するのが正しいが、確か北アフリカの風を意味する言葉だったと思う。普通、社名を考える時には、その語源や意味、発音を調べるということをしないだろうか。'60年代のマゼラーティにギブリというモデルがあって日本にも入っていたから、言葉自体があったはずなのに……一体全体、どういう人たちなんだろうか。

まぁ「バッグ(Bag)」を「バック」(ドイツ語か?!)、「ベッド(Bed)」を「ベット」と表記してしまうことが今だに多い国だから、そんなに細かいことを言うな!という人も多かろうと思う。それでも気になって仕方がないというのが筆者の性分なのだ。ついついお店などで指摘をしてしまって煙たがられることも多いのだが、その突込みに応えてくれてシェフやオーナーと親しくなれることもあるから、あながち“嫌味で小うるさいジジイ”も捨てたもんではない。正しい指摘を真摯に受け止めてくれる人、会社は素敵な環境なのだなと思うのだ。
言葉は時代とともに変わっていくものだが、最近はメディアも韓国や中国などの政治家や文化人の名前を、きちんと発音するようになってきた。例えば中国の国家主席「習近平」の読みを「シー・ジンピン」、韓国大統領「朴槿惠」を「パク・クネ」と表記する。ただ、そうは言っても元々の言語の発音が難しく、カタカナ表記が実に難しいものもあるのは事実だから、これらも正確な発音には成り切れていないだろう。でもその国の文化として、出来るだけその国の言葉はその国の発音に近い音で表現し、尊重すべきだと思うのだが、皆様は如何?