時代の気分 Market scope vol.203 Mar. 2014  文:貴田 マリ

インドいろいろ 其の6

2月の東京は45年ぶりの大雪などで、例年になく厳しい寒さが続いたようだ。それに引き替えデリーは、2月から3月中旬までが束の間の一番良い季候。日本では春に咲くパンジーやマーガレット、そして夏に咲くストック、ダリア、サルビア、立葵などが今を盛りと一斉に咲き誇っている。

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写真/ダリア

でも4月からは夏。気温は43℃〜45℃に上昇し、5月後半には48℃の真夏に突入する。この絶好の観光シーズンを逃してはならじと、デリー滞在10ヶ月目にして“タージ・マハル”見物に出掛けた。

インド第一ならびに世界屈指の観光名所であるタージ・マハルは、ムガル帝国第五代皇帝シャー・ジャハーンが、若くして亡くなった最愛の妃ムムターズ・マハルのために、彼女の死の翌年、1632年から22年という歳月をかけて建立した白亜の霊廟だ。一時はムガル帝国の都であった、デリーの南200kmの地方都市、アグラのヤムナー河の岸辺に建っている。名前の由来は、ここに葬られているムムターズ・マハルのムムが消え、ターズがインド風のタージになったといわれている。

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写真/タージ・マハル全景

16世紀初頭、西の砂漠の民がインドに侵攻し、トルコ系イスラム王朝であるムガル帝国を築き上げた。それから約100年後、帝国の絶頂期にシャー・ジャハーンは皇帝に即位し、30年の永きにわたりその治世は続いた。
シャー・ジャハーンは三人目の妃であるムムターズ・マハルを常にそばに置き、戦場にまで伴うほど寵愛していた。彼女は19年間に14人の子供をもうけ(8人は幼くして死亡)、皇帝に同道した臣下の謀反討伐の遠征先で14人目を出産した数日後、産褥熱で36歳の生涯を閉じた。死に際し彼女は皇帝に、再婚しないこと、そして彼女のために立派な霊廟を造ることを約束させた。ムムターズ妃を失った皇帝の哀しみは深く、宮殿のハーレムでの遊興にも興味を失い、39歳の皇帝のひげはすっかり白くなってしまったという。そして全ての情熱と国力を、霊廟を造るという亡き妃との約束に注いだ。

タージ・マハル建築の22年に渡り、常時2万人の職人や労働者がアグラに集められた。インド各地はもとより、その時代の大理石細工では最も優れていたトルコ、そして中近東諸国や遠くイタリアやフランスからも、多くの職人は家族と共に移り住み、その子孫達が今でもタージ・マハル南門外のタージ・ガンジー地区に住んでいる。彼らはイスラムの習慣に従い、毎週金曜日にはタージ・マハルに向かって左手、メッカに向いて建てられたモスクで礼拝を行い、その後にはタージ・マハルの掃除をしている。これは完成当時から絶えることなく続き、このイスラム教の祈りの日のために、タージ・マハルは金曜閉園となっている。

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写真/モスク

人材のみならず建材も、インドはもとより中東やトルコ、エジプトや中国からも取り寄せられ、1000頭以上の象を使いはるばるアグラの地まで運ばれてきた。
本体の白大理石は、アグラから400km離れたラジャスタン地方のジャイプール産が選ばれた。大理石といえば昔から、イタリアのカララが世界的な産地として知られていたが、カララ産の大理石は水と酸に弱く、外部使用には耐えられなかった。それに引き替えジャイブール産の大理石は、水にも酸にも強く、最も汚れやすいドーム屋根にも使える利点があった。

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写真左/柱2本、写真右/アーチ

またこの白亜の建造物を彩る華麗な象嵌細工には、35種類もの貴石や半貴石が使われている。珊瑚や真珠貝、オニックス、ガーネット、マラカイトに加え、中国からの翡翠や水晶、チベットからのトルコ石などが、花やコーラン文字、幾何学模様の象嵌に使われている。その中でも深いオレンジ色のアラビア産カーネリアンと、アフガニスタンからの碧いラピスラズリは、その鮮やかな色と光りを照り返す特質が好まれ、最も多く使われている。

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写真左/象嵌・レリーフ、写真右/柱象嵌

毎月、満月とその前後各2日の5日間、夜のタージ・マハル見学が行われている。毎晩400人限定、50人のグループ毎に30分間のみ入場し、庭園から眺める。月の光りを浴び、ほのかな銀色に輝くその姿は、息を吞むほどの崇高さを讃えていると聞いた。

贅を尽くして国家の財政にまで影響を及ぼし、果ては息子に皇帝の座を追われ、幽閉の身でその生涯を終えることになったシャー・ジャハーンにとって、タージ・マハル建設とは、最愛の妃への愛の証などと、ロマンチックな一言で片付けられるものだったのだろうか? 皇帝ならいざ知らず、世界中を見ても、一王妃にすぎない女性にこれほどの墓所が建てられた例は見当たらない。精力的に帝国の領土拡大に挑み、宮廷政治に意欲を燃やし、自らを“世界の王(シャー・ジャハーン)”と称した男の真意はどこにあったのだろう?
Wikipediaによれば、「タージ・マハル着工の頃シャー・ジャハーンは、ヒンドゥー教抑圧令を発するなど、イスラム教国家建設を進め、その中でタージ・マハルはイスラム教徒の精神的中心として構想された。聖者信仰はイスラムにもヒンドゥーにも見られ、その墓所には霊力が宿るという考えが、ムガル王朝期のインドでは強かった。ムムターズ・マハルを聖者とする根底には、イスラム社会が女性に対し、夫への愛と子を産むことを求め、産褥による死は男性が聖戦で死ぬ事と同じ、とする母性信仰があった。生涯14人の子を産み36歳で死んだ彼女は、殉教の聖者とあがめられるに充分だった」と言うことだが、今ひとつ説得力に欠ける。

しかし何はさておき、タージ・マハルは華麗で壮大の一言に尽きる。前庭の北門の暗がりの先に、その白亜の姿が目に飛び込んできた瞬間、思わず“ウワァ〜”と嘆声が出た。連日2万人が訪れる名所だけあって、北門は入場者であふれ、ほぼ全員がカメラを頭上高くかかげ写真を撮っているにもかかわらず、その美しさに圧倒され、混雑も忘れてしまうほどだ。

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写真/北門から

そしてタージ・マハルを中心として、完璧なシンメトリーで構成された広大な庭園や、白亜のタージ・マハルをはさんで相対する、赤砂岩のモスクと迎賓館など、そのダイナミックな全体構成は、青空を背景に限りなく“美しい建物”として存在する。
写真では、“巨大な工芸品”という印象を受けたこともあった。しかし、非常に美しく精緻な“工芸品”ともなりかねない危うさは、全体のスケール、完璧なまでのシンメトリー、そして全てを圧するタージ・マハルの静かな力強さにより救われている。

タージ・マハルの総合プロデューサーとも云えるシャー・ジャハーンは、あでやかな色の刺繍が施された衣装を好み、在位中は“最もスタイリッシュなファッション・リーダー”として有名だったそうだ。このような趣味の良い皇帝が、その帝国の絶頂期に在位した幸運も見逃せない。タージ・マハル建設は国の財政を傾け、そのため皇帝自身は不幸な最期を迎えたが、彼の遺産は300年後にはインド第一の観光資源として、しっかりとこの国に生きている。不思議な歴史の巡り合わせを感じる。