西武百貨店時代

— 物好きが高じて百貨店入社から代表取締役退任まで……、25年間のレビュー

学生時代から、モノへのこだわりはヒトより強いほうでした。
小学校時代は蝶標本の収集、中学生時代は鉄道模型に凝ったりしました。 高校時代は折しも石津謙介さんの「VAN」登場の頃でした。当時は、このアイビールックに凝ったわけですが、それだけでは飽き足りなくなって、アメリカに家族がいた友人に頼んで、ブルックス・ブラザースのバーミューダパンツを送ってもらったり……。

そのころ東京でいち早くVANを導入した百貨店が、西武池袋店と数寄屋橋阪急百貨店だったのです。 高校時代の仲間がプロ裸足のジャズバンドをしていたので、そのパンフレットへの広告をVAN本社にもらいにも行きました。 ちょうど、くろすとしゆきさんが広告担当でいて、面白がってこの高校生バンドに広告をだしてくれました。
大学時代になると、西武が渋谷に進出して、カプセルとかBE-INとか当時の最先端のブティックを作ります。これにも驚かされました。
そんなこともあって、就職するならばモノと文化の流行を先取りする仕事ができる百貨店、しかもその最先端を走っている西武に、と思い込んでいました。
大学卒業の時はゼミの教授と衝突してまで、西武に応募しました。

配属は渋谷店の婦人服売り場。よくある話ですが、最初はやりたい仕事と、やらされている仕事が違っていて、三ヶ月で飽きてしまいました。 でもどうせ仕事に時間を費やすのならば、それを面白くするか、しないかは自分の心の持ち方ひとつだということに突然気づいて、当時担当していた、都内百貨店の中でも最も売れなかった「J」というブランドのコーナーを半年で都内一の売り場に変身させることができました。 こうなると仕事が面白くなります。そんなわけで、ついつい25年間も西武にお世話になることに……。まさに、「商いとは飽きないことと見付けたり」だったのです。
それから営業企画、商品開発、販売促進などを担当させてもらいました。生意気盛りのその頃になると、マーケティングの専門書にずいぶんと原稿を書かせてもらいました。 当時最新のマーケット理論を思う存分実現していた西武は大いに注目されたからです。

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