静岡県知事選挙を戦う

任期満了が近づいてきた頃になって、こんな出来事が起こりました。もう参議院選挙には出馬しないというのが周知の事実でしたから、一部の静岡県選出の民主党議員と、県民有志から「静岡県知事選挙に出て欲しい」と言われたのです。最初は固辞しました。井関先生が移られていた千葉商大の教授就任が任期満了直後から決まっていたのです。
ところが、私にも実はむげには断れない気になる問題があったのです。それは、その選挙の最大の争点だった「静岡空港建設問題」ではなく、老朽化した浜岡原発と迫りつつある東海地震の問題でした。この浜岡は私の父・水野成夫の郷里であり、三十年前に原発が作られたとき、当時財界の有力者だった父が、浜岡町を説得したという経緯があったのです。それが町を豊かにしてきたことも事実ですが、研究が進むにつれ、この原発の真下に震源地があることがわかってきたのです。しかも炉が老朽化してヒビがいくつも発見されているにもかかわらず、運転再開を強行しようとする暴挙を何とか止めるとしたら、「最後は知事の権限を持ってするしかない」と常々思っていたのです。このまま運転を続けて地震に耐えられなければ、悲惨なそして甚大な被害が全国に及んでしまいます。いままで浜岡の恩人とされていた父の名が一気に地に落ちてしまうなどというようなレベルの話ではないのです。
ここでこそソシアル・マーケティングの実践を行うべきだ、という思いだけが私を揺り動かしました。
自民党と民主党が現職知事与党という、あらゆる組織党が現職知事を支持していました。一部の市民の気づきだけが頼りの戦いです。しかも選挙の経験もない素人が大半という……。最初に私を訪ねてきた9人の市民から始まった気づきの輪が2ヶ月の戦いで最後57万人にまで広がるところまで到達して終わったのです。選挙としては完全に敗北でしたが、あれほど保守的な県民性の静岡で、金もなく、時間もなく、組織もない、まさに三重苦だった私への票がここまで取れたこと自体、奇跡的だったような気がします。
この選挙の顛末は一冊の本にまとめましたが、市民の暮らしを守る戦いはこの知事選挙で終わったのではなく、今も続いているのです。そのきっかけを作ることになっただけでも、この出馬は決してムダではなかったと思っています。
私のわがままな出馬でずいぶんとご心配を掛け、また応援してくださった各方面の方々には、未だに感謝しきれない思いでいっぱいです……。

そして今から ⇒